教書御染筆に見る大国様のご神徳

当分院には、御祭神 大国主大神様の御神徳を教示する御染筆が掲げられております。何れも千家國造家せんげこくそうけ御家門よりの賜り物で御座います。
これらの教書に依り、お大国様の御事績ごじせきをたずねてみましょう。


 ◎ 大国主大神
第八十三代出雲國造 出雲大社宮司
千家尊祀せんげたかとし様 御染筆


大國主大神
大国主神は盟友である少彦名神と共に、葦原の中津国と呼称された我が国土の開拓と経営けいえいに励まれました。
お二方は、この世の全てのものが豊かに繁栄はんえいするようにと望まれ、國造くにづくりに励まれました。

『 ある時お大国主神が「我らが開拓した国土は果たして立派に出来上がったのであろうか。」と問いかけられ、少彦名神すくなひこのかみは「良く出来た所もあるがそうでない処もある」とおこたえになりました。』

 創意工夫を重ねて國造くにづくりに励まれる御様子を伝える神話であります。
 お二方は心を尽くされて足りない処を補い國造くにづくりにお励みになりました。

 ◎ 幸魂奇魂守給幸給
名古屋分院長 千家鐵麿かねまろ 御染筆


『幸魂奇魂守さきみたまくしみたままもりたまさきはたまえ』と訓読いたします。

大國主大神
時に海を照らして依り来る神あり。
吾在るによりて、汝その國造くにづくりの大業を
建つるを得たり。吾は汝が幸魂奇魂さきみたまくしみたまなり。
大国主神これ吾が幸魂奇魂さきみたまくしみたまなりけりと知りぬ。


古事記、日本書紀に述べるところで御座います。私どもが「だいこくさま」とお慕いして敬仰申し上げます大国主大神は、國造くにづくりの途次その困難な事業にお苦しみ お悩みになられた折、浜辺に籠り祈りをささげつづけられました。
時に、海原遥か依り来る神がおられました。お尋ねされると「あなたの幸魂奇魂さきみたまくしみたまである、よく祀るよう。」とお答えがありました。そして、祀り祈られる中に國造くにづくりの大業を成し遂げ大国主大神と称えられる尊神そんしんとなられました。およそ、人が人であると云う事は、萬の物事を生成発展させ文化創造へむかう幸魂さきみたまと、知性理性のはたらきをなす奇魂くしみたまと云うムスビの“みたま”を我が身に戴いてかされているからであります。
私どもの生命の中には神祖かみおやより授けられ、親から子へと祖孫一貫に受け継がれた幸魂奇魂という霊魂が宿されております。 私どもがその祈りの中で我が身に宿した幸魂奇魂さきみたまくしみたまに、まもたまさきはたまえと祈る事により、常にお大国様の幸魂奇魂さきみたまくしみたまに合一させて戴く、…それが神語の三唱のこころなのです。出雲大社では、御神績にちなんで神語しんごと尊称して神拝に際しては「幸魂奇魂守り給ひ幸ひ給え」と三度唱えて祈念きねん致しております

教書は昭和3年千家鐵麿かねまろ名古屋分院長(昭和5年大阪分院長に就任され尊建(たかたけ)と御改名)ご来村のおり敬書けいしょされたものであります。


 ◎ 縁
出雲大社教管長 千家達彦様 御染筆


「えにし」と読みます。
縁

「だいこくさま」とえば「縁結びの神さま」と申しますが、「縁結び」とは、単に男女の仲をむすぶことだけでなく人間が立派に生長するように、社会が明るく楽しいものであるように、すべてのものが幸福こうふくであるようにと、お互いの発展はってんのために「縁;えにし」が結ばれる事なのです。だいこくさまが「福の神」と慕われ、すべての人々から広く深く信仰しんこうをおうけになっているのも、この「えにしを結ぶ」御霊力みちからを以て愛情を私たちに限りなく、そそいで下さる神さまであるからです。


 ◎ 和 譲
出雲大社教管長 千家達彦様 御染筆


「わじょう」とお読み致します。
御苦労の末のお大国様が国土経営を成し遂げられた頃、お大国様の元に天上よりの使者ししゃが参りました。天照御大神よりの国土奉還こくどほうかんの求めでありました。お大国様はお子様である神々とご相談になり紆余曲折はあったものの結果として、兵矛へいかを用いず平穏の内に国土を奉還され「我が子、事代主命ことしろぬしみこと(恵比寿様の事)の統率とうそつの許にお仕えするならば我が多くの子らに背く者はなく、皇室と共に幾久しく我が国の栄をお衛り申し上げるでしょう。」…と仰せられました。お大国様の誠に潔いいさぎよい国土奉還の様に、深く感じ入った天津神あまつかみは、「そなたが今まで治めてきた顕世うつしよの事は今後は皇孫治めますので、そなたはこの後は目に見えない魂の世界を幽事かくりごと(=神事かみごと)の主宰つかさとなってお治め下さい。また、そなたが住まう天日隅宮あめのひすみすみみや(出雲大社の古い呼び名)は天津神が造営しましょう。そなたの祭祀を司るには天穂日命(天照御大神の第二の神子=國造くにづく家の祖神)を遣わしましょう。」と、仰せになりました。

「和 譲」とは、我が国の千代八千代の栄を祈り願われ平和の内に国土奉還を行い、幽事かくりごと主宰つかさとお鎮まりになられた御親大神様の深遠なる御霊徳ごしんとくをお称え申し上げる言葉で御座います。


和譲


 ◎ 霊廷
出雲大社教管長 千家達彦様 御染筆
(社殿御造営百年記念)


「ひのみかど」とお読み申し上げます。
霊廷

 私どもが御親大神みおやのおおかみ様と敬仰申し上げます大国主大神様は、出雲大社に「幽事・カミゴト・神事」の司としておしずまりになられました。
 生きとし生けるものはすべて大神の「霊魂・タマシイ」を司られるご霊威れいいの許に育み育てられて顕世うつしよ生命いのちを戴いたのであり、この世の勤めを事終え身罷っては再び「幽事-かみごと-神事」の世界へ帰り入り、大神様の御元によみがえって永遠の命を戴きます。
この幽世の広処かくりよのひろどが教書としてご染墨を賜りました「霊廷・ヒノミカド」で御座います。私たちのご先祖様は、幽世を司られます御親大神様のおはからいで幽世の広処かくりよのひろどの「霊廷・ヒノミカド」に住まわせて戴き子孫しそんから頼りにされ祈られる守護神として後の世の永遠の命の幸せをむすんで戴く事が出来るのでございます。


 ◎ 「祖霊冥福」
前東京分祠長 千家遂彦 御染筆

十津川衆(十津川村の士族)が、仏教を離れ我が国風くにぶりの祖霊祭祀である神道に立ち還る事(復祭)を誓ったのが明治四年、更に「御親大神様みおやのおおかみさまの生き死に二道かけてのみはたらき」をお慕い申し上げ、奈良県十津川村の鎮守ちんじゅである玉置神社の祀官(しかん:神職)であった玉置貴久を総代として、初代管長、千家尊福公に一村を挙げて入信にゅうしんを御誓い申し上げたのが明治十八年七月で御座います。ゆえに明治二十三年開拓の為に入植をした十津川衆はすべて本教の教徒きょうとであり、奈良県十津川村より先祖の霊璽(れいじ:仏教で云う位牌)を自ら奉戴ほうたいしての入植でありました。
 以来開拓の労苦ろうく二十年の成果を祖霊冥福の社の造営に捧げ当分院の社殿は建立されました。「祖霊冥福」は、社殿建立の初めの言葉であり子々孫々と継承けいしょうすべき祈りの心でも御座います。


祖霊冥福